2回目の東京会合
ご報告が大変遅れました。これまでの例から言うと早いくらいですが、そんなことは自慢にもなんにもなりません。💦
場所はいつものように池袋のアラビアレストラン「月の砂漠」。店内の改装は着々と進み、天井にも美しい和紙と切り紙のモチーフが一面に貼られ、写真に撮ると、この世とはまるで別世界。アラビアンナイトに迷い込んだような風情です。
この日は12月の27日。2018年の残りが押し迫った時期にもかかわらずに決行、それでも9人の方々が集まってくださいました。
那須塩原から、世を達観する仙人Y先生、宇都宮から高級呉服店を営み茶道の先生でもあるOさん、栃木市からはおりがたの生徒さんでもある、お若く頼もしいYさん。東からは、服飾デザイナーで日本古来の染めの布なども現代に生かすOさん、お友達で、長い海外生活から様々な世界を目にされ、グローバルな視点をお持ちのIさん、詩吟liveで独自の世界を展開するKさん。美術科教員として長年子供達とかかわってきた夫、おりがたを学び続けてきたわたし。そして、まだ知り合ったばかりにもかかわらず、日本文化を国内外に紹介していきたいという願いに共感してくださった太陽のようなYさん。
この、新たな3人のすてきな仲間をお迎えしての会合となりました。
「展樹の会」とはいい名前だとしみじみ思います。展べる、展開する、樹木のように根を張り枝を伸ばしていく・・・。しかもほかには使っている団体がない。・・・その名のごとくに、少しずつ輪が広がっています。
樹という文字を使ってと夫に依頼、考えてくれたのがこの名称でした。夫に名付け親になってもらうよう提案してくださったのは、京都の大寺院参与でいらっしゃるO先生。感謝です。
初顔合わせとなった方も多いので、まずは自己紹介。みなさん本当に「いい人」で、わたしが日本文化に感じている「壁を作らない心」「相手を敬い自らはへりくだる心」を体得していらっしゃる方々です。
へりくだるというのは、単にさし控えることだけを言うのではありません。おりがた礼法を司った家柄の伊勢貞丈が、「その身のくらい相応にして、すぎたることもなく及ばざることもなく、よきほどなるを・・」と著わしたように、人の話によく耳を傾け、必要に応じて言うことは言い、一人一人が自分の立場・役割を全うするのが本来のよき人間関係のありかたではないでしょうか。
心に壁や垣根を作らず、誰に対してもオープンで、しかもご自分の考えを持っていらっしゃる。共感すべきはして、疑問も遠慮なく投げかける・・・そんなすてきな皆さんでした。
”オープン”というのもいろいろな捉え方がありますが、社交性や明るさを意味するわけではないと、わたしは考えています。人それぞれ性格は様々です。話すことが得意な方もいれば、人と会うことが苦手な方もいるでしょう。それはどちらでもどんなでもいいと思います。ただ人の言うことに心を開いているかどうか。そこだと思うのです。特に話すことがなければ、ただにこにこして頷いているだけでも十分です。本当にそうしたいならば、そういう気持ちならば、それでいいのではありませんか?
今回の集まりは、2019に行う具体的な活動に向けての第一歩にしたいと願い、そう表明すると、お若い方を中心にその具体案が出始めました。初参加のふたりのYさん(頭文字Yの方が多いのです!)が、話が逸れそうになってもすっと道にもどして下さいます。それがとても頼もしく思えました。わたしなどついついあれもこれも話がいろんな方向にひろがりがちです。そこをさりげなく軌道修正してくださるのです。
そして、展樹の会のみなさんの特技や扱っている分野を生かした展示や実演、体験の場を設けることで、全員の気持ちが一致しました。華道展、書道展、お茶席・・ひとつひとつの発表はあっても、様々な日本文化が一堂に会する展示の機会というのは、今まであまりなかったように思います。実現したら、とても興味深いものになりそうです。
それが若い方も巻き込み、日本の良さを再発見してもらう機会となり、ひいては世界に向けて何かを発信していける場になったら・・。しかもそれは、単なる文化の紹介ではなく、心の中にあたたかいものと感動が宿り、人間関係にも何かよき作用をもたらしていってくれるものとなるなら、そんなうれしいことはありません。
今回出席していただくことは叶いませんでしたが、ライフスタイルデザイナーのKさんは、先日「熨斗と水引」に関する興味深い講演もなさいました。書の道を歩まれるYさんは、実から育てて手打ち蕎麦を作り、米作りから日本酒製造にかかわるなど日本の心を体現していらっしゃいます。プロ心理トレーナー、カラーの専門家Sさんは、たくさんの方々に寄り添い、人を幸せに導いてこられました。
SさんYさん、わたしが学んだO先生は、東洋の陰陽五行説を基盤として心身の傾向を読み取り、予防医学に生かす分野を開拓、また現象心理学を提唱するなど既存の世界に一石を投じ続けていらっしゃいます。
そして最年少20代のMさんは、O先生が参与をなさっているお寺さんに足を運ばれ、海外からみえた日本文化に関心を持つ方々をご案内、お母様である宇都宮のOさんは、京都の帯作りのプロデューサーとも言える老舗に皆さんをお連れするなど、それぞれに素晴らしい行動をなさっておいでです。
もうひとりのお若いYさんは、東京アメリカンクラブにて新春Gala partyを主催、70人もの輝く女性たちを集めて魅力的なイベントを繰り広げました。わたしはそこで、おりがたプチ体験を担当、喜んでいただけてとてもうれしかったです。
詩吟のKさんの公演にもお邪魔しましたが、テーマに沿った現代歌と合わせて吟ずるなど独特のスタイルがより明確になり、お客様も引き込まれていました。
一方、京都会合に出席してくださった越前の和紙舗、皇室御用達の紙を漉くYさんは、お寺さんの前住様七回忌法要のお品として格調高く美しい檀紙の銘々皿を納め、その万葉包みをわたしが担当させていただくなど、コラボレーションの機会もいただきました。
岐阜県長良のSさんは、茶道の大家でいらっしゃると同時に、「結び」の達人でもいらっしゃいます。その品格と美しさには、目を見張るものがあります。
多治見のUさんの繊細な気品漂う大和絵、福岡のFさんの透明感あるクリスタラインペインティング、兵庫のHさんの、花の命を感じさせる生け花、先日醍醐寺ファミリーフェスタで繭から糸を紡ぐ体験講座をなさったOさんの織物など、西日本の皆様の作品も、ご紹介したいものばかりです。
第一回展樹の会の展示?体験?会は、ゴールデンウィークの頃に開催されるかもしれません。気学やイベントコーディネイトにも通じていらっしゃるYさんが、時期を提案してくださいました。その実現が、今からとても楽しみです。
蚕の繭の糸紡ぎ講座とそのご報告
(今回は、大城美智子さんの記事を投稿させていただきます。)
10月28日(日)、よく晴れた秋の一日、醍醐寺〜寺子屋プロジェクト〜親子フェスタ'18 に参加しました。
広々とした、いつもは静かな境内に元気な子ども達の声が響きわたりました。生け花、匂袋作り、お数珠作りやチーズ作りなど、子ども達とは親子で思い思いのいろいろなたいけんを楽しみました。
私はその中で、蚕の繭の糸紡ぎのコーナーを担当しました。
ずっと以前、蚕を少し分けてもらって育てたことをきっかけに、我が家の居間が蚕部屋のようになったことがありました。やがて、真っ白な繭を作り、しばらく休んだ後、丸い穴を開けて中から成虫が這い出してくる。成虫になってからは、一週間ほどで卵を産んで死んでいく。その一生の美しさと潔さに、ただただ頭の下がる思いがしたものです。
素人の見よう見まねの糸紡ぎ、その糸を使って、原始機という太古の織りでショールを織ったり、庭の木の葉をちぎって、染めてみたり、ワクワクしながら遊び呆けた時期がありました。
そんなことを美和子さんにうっかり話したことで、こなようなお役目を仰せつかることになってしまいました。口は災いの元とは、全く…(笑)
許された時間は三時間、そのなかで、子ども達に楽しんで貰うには……? 楽しい作業をしながら、人間は身近なものの命を貰って自らの命を守り、育むためのものを作り出してきたという事。その主な担い手は家の中の女たちであったことなどを、私にとっては子どもや孫の年の皆さんに伝えることができたら……。そんな思いで、準備しました。
当日は、四組の親子の皆さんと、美しい特別ゲストが1人集まって下さいました。
みんな、まず白い繭に興味をそそられたようです。誰もが「初めて」と触ったり臭いを嗅いだり、中にサナギがいるというと、取り上げて振ってみたり。
最初に、この繭から糸を引くところを見せました。鍋の中で少し煮てからそっと箸でつついていき、一個一個の繭からすーっと透明な糸が出てきたときには、みんな、わーっと驚いていました。それを巻き取っていく作業が子ども達には、ことのほか楽しかったようで、時間を決めて順番にやってもらいましたが、糸は巻いても巻いても終わりがなく、次の人に交代するのがなかなか大変でした。
糸を引く作業がない時に、真綿作りと、それから糸を紡いでいく真綿紡ぎ。繭から直接糸を紡いでいく、ずりだしも体験してもらいました。
手持ちぶさたな人が出ないようにと考えた案でしたが、いくつもの作業が同時進行でいくので、どうしても目が行き届かず、ゲストのお嬢様に手を貸してもらって何とか終わることができたという、冷や汗の出る状況でした。
帰ろうというお母さんと、もっと続けたいという女の子とが口げんかを始めたり…。
「糸を最後まで取ったら、虫が出てくるの?」と聞いてくる男の子に、「そうだよ」と答えると、「見たい!」と言うので、それではと、ハサミで切ってサナギを出して見せました。
死んだサナギが繭から出てくるのを見せることについては、お寺の方と事前に話し合いました。
「これが自然で、お寺だからこそ、かえって良いのでは?」と言うお言葉をいただいて、私も腹を括りました。
と、中から出てきた死んだ虫を手に取った男の子は、「ワアーッ凄い」と飛び上がって、他の皆に「見て見てっ、凄い!」と見せて回っているのです。
私は唖然としながら、"何が凄いんだろう?"と、その子に訊きたい気持ちでした。
終わってみて、作業が盛り込みすぎで、何がなんだかわからなくなったこと。もっと落ち着いて、手順をしっかり伝えてから始めるべきだったことなど、反省点ばかりで、落ち込みました。新幹線の中で、お寿司をやけ食いしながら帰りました。
でも、最初に、生糸がすーっとひけていくのを見たときの目の輝きと、最後に、死んだサナギを見たときの子ども達な反応は、印象的でした。
生きることと死ぬこと、その中に私達も共に生かされているのだということを今回、私は子ども達から教わったような気がしています。
貴重な機会を下さいました、醍醐寺の岡田様、渡邉様、高橋様、特別ゲストのまいさん。群馬県蚕糸技術センターと、そこを紹介してくれた友人達に、心から感謝申し上げます。
京都会合
今回は、京都での集まりについてのご報告をしたいと思います。
今をさかのぼること2ヶ月。台風の爪痕の残る大きなお寺の山内。日々変わらぬお護摩の声が響く塔頭のお庭も、無残に木が倒れたままでした。
総門から境内に入ることはできても、次の門は閉ざされています。その先はまだ危険で歩くことすらできないとのことでした。
幸い会合の行われる場所の整備はいち早く進んだそうで、美しいお庭を拝観させていただいた後、一同は応接室に通していただきました。
東京に続いての参加は、そのお寺の参与を務めていらっしゃるO先生、那須塩原からかけつけてくださったY先生、前回の会場のオーナーM子さん、蚕を飼い、糸を繰ったり紡いだりしてきたH子さん、そして私の5人。
新たに、関西方面にお住いの皆さんもお集まりくださいました。
長良川河畔で旅館業を営むSさん、兵庫から、草月流華道師範のHさん、越前で貴重な和紙を漉いているN子さん、福岡から夜行バスで来てくれたのは、日本で生まれた美しく透明感のある技法の絵画講師のKさん。
加えて、お寺で様々な任務にあたる僧侶の方、秘書の方、寺子屋プロジェクトのリーダーを務めていらっしゃる会計士さんが参加されました。
広い応接室にぐるりと置かれたソファもほぼ満席。東京に続いて大勢の皆さんがご出席くださり、ありがたい限りです。
まず、お声がけをさせてもらった私がお一人お一人の紹介をさせていただきましたが、その前に皆さんについて、「物やお金はなくても、出会った人たちが宝物。ここにお集まりいただいたのは、自分の人生においての宝物のような方たちです」とお話ししました。東京会合においでいただいた方々もそうです。本当にそんなふうに思えるのでした。
そんな紹介タイムのあとに口火を切ってくれたのはSさんでした。日本の子女が海外に行くと、いかに自分の国を知らないかを思い知らされて帰って来るとのこと。海外では、日本についていろいろな質問を受ける。それに答えられないという恥ずかしい思いをする若い人がとても多いらしいのです。
相手を敬い、自らはへりくだる。対立という考え方はなく、あるのは受け入れ、融和と和合。そんな日本の文化を知らせていく活動が、国の内外でお役に立てる・・その考えはあながち的外れではないと思えるエピソードでした。
現代では、子供はもちろん大人も、日本古来の文化など知らなくても生きていくことはできます。そんな「知らなかったこと」を「知らせる」、つまり発信していけば、「知る」ことができる人たちがたくさんいるのです。
しかしただ知らせるだけではなく、真に心に働きかけ、日常の暮らし、考え方までをいい方向に導いていくことは簡単ではありません。教育を受けた子が親になり、次の子を育てる段階まで待つくらいの気長さが必要な気がしました。
そこに明るい光を射し込ませてくださったのがY先生でした。大人の真剣な態度で、子供は一瞬にして変わりうる・・そんな実例を語ってくださったのです。
まずはやってみること。一歩を踏み出してみること。何事もそれが大切なのでしょう。
熱のこもる話し合いの中に、ふっと心和む話題を投げ入れてくださるHさん。長年華道の指導と生け込みのお仕事をなさっています。生徒さんは何人まで、と決めていらっしゃり、その時間は生徒さんにとって、学びの場であると同時に安らぎの場であることがうかがわれます。
そのありかたは、まさに日本文化が心の面においてできることの可能性を見せてもらっているようでした。
O先生からは、会場のお寺の考え方、すなわち「お寺は国の宝であり、国民に向けて常に開かれている。心ある人たちといっしょになってよいものを発信していきたい」ということについてのご説明がありました。
それは、残念ながら巷によく聞かれるような、宗教法人の堕落ぶりの逸話とはまったく別次元の清々しいお話でした。
そして越前のN子さんは、ご自身が漉いた和紙や、ご家族とともに仕上げていらっしゃる作品を見せてくださり、室内には感嘆の声が上がりました。
美しいもの、魂こもるものは、無条件に人の心を感動に導きます。それも日本文化のなしうる大きな可能性のひとつです。感動の前には、人種も性別も年齢も関係がありません。敵も味方もありません。
最後に、九州からかけつけてくれたKさんの、教える立場にして教えられることが多いというおごりのない謙虚な思いが語られ、ここにも、相手を敬い自らはへりくだる日本文化の基本精神を垣間見せていただいたのでした。
真摯な話し合いの場では時間が経つのが早いものです。あっという間にお寺の閉門の時刻となり、意義ある会合も幕を閉じました。
車でみえたSさんとN子さんはそれぞれに帰られましたが、私の車でお送りする皆さんは、場所を移して夕食をとりながらまたいろいろなことについて話し続けました。
別れ際には、その場の最年長だったHさんが白髪のY先生の頭をなでつつ「いい子にしていなさいね。」と。笑
反骨精神旺盛なY先生も、はーいとうれしそうに答えていらっしゃいました。
まだまだ展樹の会はスタートラインに立ったばかり。こんなすてきな方々と、これから何ができるか、そう考えただけでわくわくしてまいります。
この2回の集まりを終え、東京会合から、Y先生がコンサルティングをなさっているお寺に詩吟のKさんに来てもらうことになり、京都会合からは、そのお寺で行われるファミリーフェスタで、養蚕と糸紡ぎのH子さんの講座が計画されることとなりました。
ファミリーフェスタは先日終わりましたが、その講座はとても好評だったそうです。
またN子さんの和紙製品が、とある法要の引物としてお寺に納められることになりました。その美しさと、それを包む折形が、贈る人と贈られる人との間に、目に見えない和の心の橋渡しをしてくれることでしょう。
関東・関西2回の会合の簡単な報告を終え、いよいよ次回から、日本文化ひとつひとつから、それに携わる方々から、この場を通じての発信を始めたいと思います。
やがては実際の場においての活動も行ってまいります。ご期待ください。
初めての集まり
台風の直撃が予想された9月4日。池袋にあるアラビアレストラン「月の砂漠」で、初めての会合が開かれました。
日本に古くから根付いている文化や道と名のつくもの・・・それらには垣根や壁がありません。そして自然と仲良しです。そんな日本文化が、現代の国内外に向けてできること、何らかの役割、そういうものがある気がしてなりませんでした。
ではどうすればいいのか・・それを模索するために、ごはんを食べながらざっくばらんに語ってもらおう。そんな思いからの出発でした。
電車の遅延があったりはしましたが、風雨は予想ほどひどくはなく、ありがたいことに12人が集まってくれました。いったい何が始まるの?どんな人が来るの?という思いの方もいたでしょう。まずは一人一人の紹介をさせてもらいました。
様々な活動をなさっている魅力的な方たち。尊敬する方たちばかりです。
そして、貴重な泥染や藍の染物などから衣服を作り、フランスでも作品を発表なさっているOさんからお話の口火を切っていただきました。
フランス人は日本が大好き。日本の文化にとても興味を持っている。・・Oさんの底抜けに明るく豪快なお人柄もあるのでしょう、どこに行かれても作品は大人気だったそうです。うれしいことです。
一方、3年間の茶道修行の後、京都で着物の連続講座を担当している最年少のMさんからは、若い人はほとんど来ない、興味を持つ人も少ない、という率直な声も聞かれました。
いくらこちらから日本の文化を紹介したいと思っても、押し売りをするわけにはいきません。簡単ではない問題があるのも再認識した次第です。
Mさんのお母様、呉服店を営むYさんからは、着物の柄に込められた願いや祈りに関するお話が出て、みなさんから感嘆の声が上がりました。もっと聞きたい、知りたい、誰もがそう思った様子。いつかぜひそういう機会を設けられたらと思います。
不登校やひきこもりの子供たち、非行を犯した少年たちに長年がっぷり関わってこられたY先生からは、文化などという言葉からは程遠い現状のお話もありました。
感覚が違う。価値観の相違。・・そう言ってしまえば終わりです。「現状」は現在の状態。未来は変わるかもしれません。(本当にそうであることは、次回の京都会合で明らかになります。)
そんなお話を受け、13年間のアメリカ生活でのカルチャーショックと詩吟との出会いについて話してくれたKさん。月の砂漠オーナーのリクエストで実際に詩を吟じてくださり、今の時代にも受け入れられるべく独自の活動をする彼女の姿と吟に、若いMさんも感動していました。
書、しかも筆禅道と名付けられた精神文化の面も併せ持つ習い事のために高速道路を飛ばすのは、いつもパワフルで太陽のように明るいHさん。そういうスタイルの書道もあるのかと感心してしまう内容のお話でした。
真っ白な和紙に向かう緊張感。清々しい墨の香り。・・多くの方に知ってもらいたい世界です。
実際に蚕を育て、繭から糸を紡ぎ、草木染めをし、織物までしてしまう沖縄のOさんからは、興味深い績む紡ぐのお話などとともに、現在学んでいらっしゃる最中の折形礼法に関するエピソードが語られました。思いは形に込められ、相手にも確かに通じるのですね。
色彩の持つ力について長年勉強してこられ、人間の魅力を引き出し、またカウンセラーとしての実力もすばらしいSさんは、ホームレスとなってその仲間と何かをしてみたいという前出の「世捨て人」Y先生に、明るいツッコミを入れていました。
この先も広い視野からこの集まりを見守ってくれそうなSさんは、いつも頼もしい存在です。
そして、京都の大きなお寺で参与を務めていらっしゃるO先生は、予防医学やメンタルストレスを扱うNPO法人の理事長兼メイントレーナー。O先生が聞かせてくださったそのお寺さんが描く日本文化に関する働きかけは、大変力強くありがたいものでした。
お寺はお寺だけのものではなく国の宝であり、心ある人たち、祈りある人たちに向けて常に開かれている。・・
「坊さんが大嫌いだった」というY先生も、O先生のお話に安心され、来てよかったとおっしゃっていました。
最後に、一歩後ろから話し合いを聞いていてくださった月の砂漠のオーナーである友人に、まとめのお話をお願いしました。
すると彼女からは、縄文人の生活の視線についての興味深いお話がありました。そこからやはり、ホームレスになってその人たちの視線から世の中を見てみたいと。
書のHさんもホームレスの女王様になりたいとのことですし、日本文化の集まりながら笑いも飛び交う楽しい会合となりました。
交通事情などもあり、残念ながら一足先に帰らなければならなかった、風呂敷包みやラッピング講師としての第一人者、ライフスタイルデザイナーのCさんからはお話を伺うことができませんでしたが、次回を約束してドアに見送りました。
終会してからも、立ち話が続いてなかなか解散となりません。船が出るぞ〜と声をかけて出発を促しました。笑
今回、当初の目的に対する具体的なお話は出ませんでしたが、お互いの人となり、していることや考えていることを知ってもらえたこと、それでよかったのだと思います。
先を急ぐことなく、しかしせっかく持つことのできた集まりです、一歩ずつ、お寺さんとのご縁も大切にしながら歩んでいけたらと思います。
次回は、9月9日岐阜以西にお住まいの方にお集まり願った、そのお寺さんでの会合報告をさせていただきます。
その後は、お一人お一人が取り組まれている日本文化やその周辺の事柄について書いて(またはお話しして)いただき、順不同でここにアップしていこうと考えています。
どうぞお楽しみに。